[俳句]震災

日本農業新聞の書評欄がけっこうおもしろい。今日は、「風評被害」(関谷直也著・光文社)、「だれでもわかるTPP問題」(小倉正行、合同出版編集部・編)、「参加型民主主義」(石田正昭著・全国合同出版社)それに「震災歌集」(長谷川櫂著・中央公論新社)だ。ことに俳人である長谷川櫂がなぜ短歌を詠んだのか、作品よりもそこに興味がある。
言葉を失うような惨事を目の当たりにしてまず発るのは、うなりだ。長い一音。一音からはじまる言葉が定型を求める。
それが、俳句ではなく短歌であったことにことの重大さと慟哭の深さを思わずにはいられない。五七五の短い定型を得るにはもうしばらくの時間がいると思うのだが、長谷川は100余の短歌を作った後にはすでに俳句しかできないという。

花屋も葬儀屋も寺も流されてしまいぬと生き残りたる一人の男   

津波溺れし人納むべき棺が足るぬという町長の嘆き

おどおどと首相出てきておどおどと何事かいひて画面より消ゆ

「日本は変はる」「変えねばならぬ」という若者の声轟然と起これ

俳人というより元読売新聞の整理記者らしいルポルタージュ短歌だ。