[暮らし]母の法要

newmoonakiko2006-05-27

母の17回忌の法要が浅草のお寺で執り行われた。母は、明治44年生まれ。生きていれば90をとうに過ぎている。絵に描いたような良妻賢母(少し言いすぎかな?)の道に立ちはだかったのが、何を隠そうこの私かもしれない。ふたりの男の子の後に何年かして、しかも晩年にあずかったひとり娘。封建的な女の役割に内心うんざりしていたのかもしれない。やりたい仕事があればやりなさい。私がついていてあげる。確かに進歩的ではあったのだ。しかし、娘は母親の常識の中では生きられない。殻を破ろうとすれば、ちょっとではすまない時代だった。以来、母は自分の中途半端な進歩性に苦しむ。彼女が、娘の生き方とどう折り合いをつけたか、私には想像ができない。父を亡くして、母ふたりの70年前後、なかなかお互いにとって厳しい時代だった。しかし、今はどうだろう。殻をやぶろうというよりも、殻にこもりたいと思う若者が多い。殻をやぶってきた親たちが、殻にこもる子どもたちに痛い目にあっているようにも見える。
さて、晩年の母は長男一家と暮らし、言うべきことは言うが言った後はあっさりと身を引く行き様だった。最期は、手を焼いた娘の家で肺炎をおこし、そのまま小田原の病院で息を引き取った。最後くらいはめんどうを見なさいということだろう。確かにこの半年の看病で、私の母に対する複雑な負い目は軽減された。
母にとっては嫁にあたる義理の姉が、「家におばあちゃんがいるのではなく、ひとりの女の人がいるようだった」と言っていた。それは、お互い疲れることだったろう。よいおばあちゃんの道を行く方が楽だったのにね、お母さん。でも、私には最大の誉め言葉のようにも聞こえた。娘の身びいきだと思うけれど。