小田原文学①

山よし海よし天気よしと小田原を13文字で看破したのは明治の作家斎藤緑雨。緑雨は、1901年に小田原に来て、南町の谷崎潤一郎邸の隣に住む。どんな小説を書いたのか不明だがこの数文字は、今でも生きている。

ところで、私が東京から小田原へ引っ越してきたのは、まだ20代の後半だった。裏口に出て、左手にお城を見ながら青橋の近くを歩くと、坂道を降りてくる学生たちとすれ違う。時に赤々と燃えては弾け、時に冷たく沈黙する若者たち。考えてみれば、私だってつい最近までは、彼らと同じ若者だったのだが、その時、ここは青春小説の舞台になるなぁと思ったものである。残念ながら、書けなかったが・・。

文学の舞台。山や海、平坦な街道、長い坂、そして迷路。緑陰と人影。人生そのもではないか。写真の本は、小田原文芸案内2冊。明治から現代までの小田原に縁のある文学者を紹介している。北村透谷はじめ、キラ星の如き、文学者が勢ぞろいしているのだが、面白いのは、執筆者の小田原という土地柄への批評である。ことに北村透谷の碑の建設に対して冷淡だった旧支配層について、先覚者を受け入れず文学者を評価しない封建的な人々と内田四方蔵が鋭く批判している。

折口信夫に師事した昭和の詩人・永田東一郎。『冷夏の海から』の1行目はこう始まる。
君の心の小田原の窓を一杯に開けて下さい