井上ひさしさんお別れの会

東京會舘で執り行われた井上ひさしさんのお別れ会。奥様のユリさんにお悔やみを申し上げると「最後まで気にかけていましたよ」ということだった。今思うと、あのホール建設問題が小田原市に持ち上がらなかったら、単に井上ひさしさんの一ファンであっただけだろう。

当時の市長は不出馬となり、ホール見直しを掲げたのたが現市長が当選した。加藤市長は、駅の隣の用地にホール建設を提案していたが、就任3ヶ月で元の用地に変更している。事業の継続性、鉄道近くであるゆえの音響設備に高額の建築費がかかる、回遊性がなくなり経済的効果が少ないという理由で、議会、行政の反対が強かったと思われる。一方、市民側でも、市民ホールの建設用地については意見の一致を見ていなかったという事情もあって、市長案はあっけなく消えた。

現在、用地を拡張することを条件にホールの建設予定地は元に戻り、建設準備委員会でさまざまな問題の検討が行われている。私は、お堀端を歩くとき、複雑な思いにとらわれる。ここに大きな建物が必要かと。井上さんは、「じっくりゆっくり考えて」と言われていた。あせると事を仕損じる。それだけは避けたい。