[暮らし]自然の力

日本の知識人たちが、今どんな発言をするのか注意深く聞いている。今日は、染織家でエッセイストの志村ふくみさん、洋子さん親子のお話を伺う。志村ふくみさんは、今年で87歳。人間国宝重要無形文化財「紬織」保持者)である。志村ふくみさんの名を知ったのは、八王子の染織家・井上奈己さんを取材したとき。井上さんの口からでる言葉は、師である志村さんのことばかりだった。草木で色を染める、そこに深い自然のいのちのしくみを感知する。昔は、染色家が薬草を知る医者であり、シャーマンであったことも理解できる。

志村さんは「一色一生」の中でこう言っている。
以前桜でもそういう思いをしたことがありました。まだ折々粉雪の舞う小倉山の麓で桜を切っている老人に出会い、枝をいただいてかえりました。早速煮出して染めてみますと、ほんのりした樺桜のような桜色が染まりました。
その後、桜、桜と思いつめていましたが、桜はなかなか切る人がなく、たまたま九月の台風の頃でしたか、滋賀県の方で大木を切るからときき、喜び勇んででかけました。しかし、その時の桜は三月の桜と全然違って、匂い立つことはありませんでした。

その時はじめて知ったのです。桜が花を咲かすために樹全体に宿している命のことを。一年中、桜はその時期の来るのを待ちながらじっと貯めていたのです。
知らずしてその花の命を私はいただいていたのです。それならば私は桜の花を、私の着物の中に咲かせずにはいられないと、その時、桜から教えられたのです。

 植物にはすべて周期があって、機を逸すれば色は出ないのです。たとえ色は出ても、精ではないのです。花と共に精気は飛び去ってしまい、あざやかな真紅や紫、黄金色の花も、花そのものでは染まりません。
友人が桜の花の花弁ばかりを集めて染めてみたそうですが、それは灰色がかったうす緑だったそうです。幹で染めた色が桜色で、花弁で染めた色がうす緑ということは、自然の周期をあらかじめ伝える暗示にとんだ色のように思われます。……
 夏の終わりに地上に散った花弁が、少し冷気を帯びて、黄ばんだローズ色になるのをご存じでしよう。それは寂しい色合で捨てがたいものでしたが、精色は抜けていました。咲き誇るあでやかな花の色のすぐ傍に、凋落のきざしがあるということでしょうか。

本当のものは、みえるものの奥にあって、物や形にとどめておくことの出来ない領域のもの、海や空の青さもまたそういう聖域のものなのでしよう。この地球上に最も広大な領域を占める青と緑を直接に染め出すことができないとしたら、自然のどこに、その色を染め出すことの出来るものがひそんでいるのでしよう。

志村さんは、「日本人は物や形にとどめておくことが出来ないものを敬い大切にしてきた民族だった。私たちの「いのち」は、あらゆる「いのち」の犠牲に上に存在していることを思い起こして欲しい」と話された。人間は、自然の霊気をいただいて生きている。自然の循環の外に生きることはどんなに科学が進んでもできない。人間が自然に反していれば、自然に反逆されるのは道理ではないだろうか。と当たり前のことを改めて深く考えることができた一日だった。