[暮らし]野坂昭如の慧眼

原子力発電のおさらいのために広瀬隆の「東京に原発を!」を読む。集英社文庫1988年9月30日第16刷だ。今は、何刷になっているんだろうか?あとがきに作家・野坂昭如が「電気について考えることは、国家とは何ぞやという大命題を思惟することに他ならぬ」と書いている。少し長いが、最後の文章を書き写しておこう。

・・・さらに、世間が便利な生活を求めるという、勝手に非人間的仕組みを押しつけた挙句の、たしかに存在する合意を背景として、しゃにむに原発を推進する、いや強制する国家の遺志を考えてみよう。ぼくは、予言しておく。原発事故が起る、さればお国は、世間全般が、家中みんな電気で動く文明生活を求め、電力によって支えられる産業を、すすんで担ったからだ、1億2千万、つつしんで犠牲者にザンゲしましょうと呼びかけるに違いない、と。

もう30年も前、小田原で野坂と石原慎太郎が遭遇してけんか寸前になったことがある。血気盛んな50代のふたりの国家観の違いを目の当たりにして、若い私はオロオロしてしまった。野坂は病に倒れ、石原はいまだに東京都知事の地位にある。しかし、不幸にも野坂の事故の予感は当たり、国の対処は幸運にもはずれたようにみえる。電気に必要以上に依存する生活は、基本的な人権を国家に握られることになる。不必要な灯りは消そう!エアコンの設定温度もあげよう!電気を自分の手でコントロールすることは、自治を地域に取り戻すことだ。しっかりせにゃ。

神奈川・足柄茶からセシウム検出。他人事ではなくなっている。
http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011051101000625.html