[暮らし]石原慎太郎と大江健三郎

大江健三郎さんらの呼びかけによる「さよなら原発5万人集会」に行ってきた。参加者は5万人どころか6万人を超えていたように見えた。遅れてきた友人は、千駄ヶ谷の駅から明治公園までのすごい人出におじけついて家へひっかえしたという。最初にデモにでた別の友人は、私がゴールしたときには、すでに家に帰り、ご飯を食べていた。2時間待って2時間歩いたのだから、休養のかいもあったというもの。労働組合とかに動員はかかったとは思うが、やむにやまれぬ市民もたくさん参加していた。私は、川柳のグループに入れてもらって歩く。俳句のグループがあれば、そっちの方がよかったけど。

さて、表題の石原慎太郎大江健三郎だ(敬称略)。現代文学の両巨頭は、石原は政治家に転向し、大江はノーベル賞まで受賞し、世界のトップにたった。私は、ふたりのよい読者ではないが、今日大江が最後に「国民投票もまだできない状況ならば、デモしかない」と最後に結んだのが、非常に印象に残る。デモは、民衆の権利であり、権力にたいする意思表示であるのだが、このデモしかないには、言葉の無力さが潜んでいないか?文学者とは言葉で人を納得させ、将来を明示させることができる稀な能力を持つ人である。大江の名演説を聞いて涙したことはあるが、反核平和への道筋を提示されたことはなかったように記憶する。

一方、石原の新刊書「新・堕落論」には、日本人の堕落とそこから抜け出す道筋がわかりやすく書かれている。私は、方法論については賛成ではないが、これに対峙する明確な思想と方法論を説く文学者も哲学者もいない。

かの文芸評論家の柄谷行人が、「デモのやり方を教えなかったのが悪かった」と言っていると聞いたが、大江も柄谷も私の頭では理解できない難解な文章でいつも途中で投げ出したが、そのインテリにこの機におよんで「デモしかない」とはね、とちょっとケチをつけてみたい。

デモ経験者によれば、今回は驚くほど警官の数が少なかったという。石原は大江に敬意を表したのかもしれない。しかし、6万とはいわず10万、100万人の美しくも凛としたデモをしてみたいものだ。
http://www.youtube.com/watch?v=k5Q5cRWpQaU