千葉の鋸山

忙中閑あり。日本寺のある鋸山。気になりつつ、訪ずれる機会がなかった。たまたま、お誘いをうけて「行きます!」と即答。日本寺は約1300年前、聖武天皇の詔を受けて、行基によって開かれた関東最古の国家鎮護を祈願した寺だ。その名の通り、のこぎりのような鋭い山壁の鋸山の10万坪余りの境内に大仏様(薬師瑠璃光如来)や百尺観音像、千五百羅漢石像群などが鎮座している。険しい山のため急な階段で、信心がなければ道などつくれない。この山になにか霊的なものがあると古の人々が信じたのが、よくわかる。

夏目漱石は明治22年、日本寺を訪れ、親友正岡子規に宛ててつづった漢文紀行「木屑録(ぼくせつろく)」。正岡子規も2年後房総を旅し、日本寺を訪れている。この時の旅について綴ったのが「かくれみの」。

「鋸山二首その一 意訳文」
独り岩窟に踞りて魔界を望む、
心境は広々として身安らかなるを覚ゆ。
撩乱たる桜花石仏の頂に落ち、
幽芳たる春風人の面をうつ。
いつしか山中の栄枯を忘れ、
世上の苦楽も心中より消ゆ。
見下ろせば海門風浪高く、
外船黒鉛を吐いて東京湾に入る。

遠くに富士が浮かび、黒い影の石油タンカー3隻、静かなる東京湾を走る。羅漢、1000年の風雪に100年の無明に耐えつつも、その首は転がり果てている。哀しいかな祈りがなければ如来も観音もその力を発揮できない。そして哀しいかな祈れるのは人間しかいないのだ。祈りながら前に進まなくては。

写真は、昭和44年に復元された大仏の総高31.05メートルは奈良の大仏の約1.7倍で日本最大だという。