雑貨主義

雑貨主義とは特権的で観念的になり、硬直した芸術意識を暮らしの中で解きほぐし、アートと生命の原初の関係を想起させる試みである。谷川晃一

三島駅前にある大岡信ことば館で開催されている「これっていいね 雑貨主義展」に行って来た。昨夜、谷川さんに電話したら、「明日は、鼎談があるので会場にいるよ。でも、お金とられるから聞かなくてもいいよ」ということだった。

谷川さんと安藤礼二氏(文芸評論家)、寺村摩耶子氏(絵本研究家)の鼎談。タイトルは「聖民俗学と雑貨」をめぐって、雑多に論じる“雑”の豊かさだ。もちろん、聞いてきた。たかだか、布や皿や、籠や人形などの雑貨だ。なのに論じると、民俗学、宗教学、生物学、建築学その他もろもろ、実にアカデミックに展開していく。確かにかわいい雑貨を紹介する本はあっても、雑貨を論じた本は知らない。

例えば、台所用品。機能性だけではなく、デザインと色は重要な要素だ。自分の空間を自分らしく創る。たとえ、それが権威あるものであっても、あるいは高価なものであっても自分の感性にあわないものであるならば、なんの役にも立たない。なにしろ、私が結婚する時代には、親が食器一式を揃えてくれていたのだから。嫁にいけば、そこの代々使われている食器を使わざる得なかった。いわば、お仕着せの暮らしをしてきたのだ。

私の自立と共に母が用意した食器は、今は1枚もない。雑貨主義はフェミニズムの進展と共にあるというのも実に明快だ。日本庭園がガーデンにとって変わったのも、家庭における女性の地位の変化だろう。池に鯉を飼う、石を置くという感性は、どうも男の文化だったのではないか。私たちは、それぞれがアーティストであり、家庭や地域を芸術化することができる。これが、画家・谷川晃一のメッセージだと思う。

谷川さんのパートナーの宮迫千鶴さんも可愛い雑貨が大好きだった。その宮迫さんの雑貨へのこだわりを谷川さんが知的に分析してみせてくれたということだろう。おふたりは、あの世とこの世で交信しているのだね。
http://www.zkai.co.jp/kotobakan/exhibition/list/detail/zakka_index.html