神は光なり

newmoonakiko2006-04-30

少しオーバーなタイトルですね。でも、ベランダから眺める柿の木の若葉。光を浴びて生き生きしている。いろいろな小鳥がこの1本の木に集まってくる。光がなくては、すべては始まらない。
夫が亡くなったのは、4月21日。燦々と光差す我が家で。前日は、娘たちの手で寝巻きを着替え、孫がすってくれたりんごをおいしそうに食べた。夫は前妻の間に2人の娘があり、私との間には2人の息子がいるので、皆に裏と表の人生だね、と冷やかされていた。翌日のお昼、勤めにでようかどうしようかと迷っていた上の息子が、「パパ、行ってくるね」と出かけた後、私は夫のベットの下でのんきに洗濯物をたたんでいた。ふと、見上げると、ふんわりと白い、そうエーテル体とでもいうものが、光に吸い込まれるように夫の身体から抜け出ていった。こういっても、誰も信じてはもらえないかもしれないが。魂の重さをはかった医者がいたという。21g?だっけ。
現代の社会では、なかなか家で死ぬことは難しいらしい。しかし、彼は1年間入退院を繰り返し、最後は絶対家で死にたいと望んだ。主治医は、その意思を組んで、不要な延命処理をしなかった。医者は「それが、本人にとって楽なんだよ」と私にいい、後1週間の命というところで、退院させてくれたのだ。そして本当に1週間、家族との濃密な時間を過ごして、この世にさよならを告げた。彼は現世という衣服を脱いで、あの世とやらに旅たったのだろう。歳をとるにつれ、あの世の方が楽しそうだとよく言っていたが、「そんなもんじゃないだろう?」と私は思う。まあ、あんまりお酒は飲まない方がいいよといいつつ、朝までふたりで飲んだお酒はおいしかったね、と言う私。しかし、若葉の茂る光の中で死ねるなんて、あなたは幸運だよ。