立花隆と柳原和子

newmoonakiko2006-05-09

今年のお正月、私は何冊かの本を買い込み、読書に明け暮れた。1回手にした本は必ず最後まで読み切る、ページをめくるだけの箇所があっても、ほとんどの本はそうしてきた。ところが、この2冊だけは、どうしても読み切れない。両書とも、膨大な資料を駆使した大作ということもある。私の知的能力をはるかに超えているのかもしれない。でも・・なのである。
天皇と東大」の副題は大日本帝国の生と死である。一方、「百万回の永訣」は、がん再発日記。まったく、違ったテーマではあるが、ふたりの著者の資質ー勿論、当代きっての知性派と言う意味でもーが、もしかしたら、とても似ているのではないかと思える。フリーの記者として夫がロッキード事件を追いかけている時、立花隆文芸春秋という大きな組織をバックに精力的に取材し、それは「田中角栄研究」として大きな成果をあげた。夫の視野の中には、いつも10歳若い立花隆がいたようだった。夫の遺稿は「天皇について」であったので、立花隆のこの本を私は興味深く手にした。でも、・・まだ、「上」も読めない。
一方、青春の2年間を同じ学びやで過ごした柳原和子社会学を学び、丹念な取材で描く彼女のルポルタージュは、いつも私に刺激を与え、よい仕事をしているなぁと思っていた。その彼女が、がんに侵され、現代医療に身をあずけて奮闘する姿を私は痛々しい気持ちでみていたのだ。そのがん闘病記の第3作が、この本である。でも、なぜか最後まで読むのがしんどい。ひとことで言えば、なぜか感応できない自分がいるのだ。
文芸春秋特別版「心と身体の拠方箋」の中で、彼女は「寂しい、だけど静か、なにより素敵な一日」というエッセイを書いている。その最後の一文、矛盾を切り抜け、混乱を受け止める力の蘇生を急げ!こころとからだは連動し、連鎖し、複雑に絡み合っている・・がんが私たちに示唆し、切望しているように思えてならない。
柳原さん、がんは私たちにこんなことを切望しているのだろうか?
立花隆も宇宙と脳という壮大なしくみを知的に解説してみせてくれた。でも、感応できない。どうしてだろうか?
今日は、天気が曇りなのでマジになってしまいました。これから,大阪に行きます。