枇杷(びわ)を喰ふ

newmoonakiko2006-05-08

月に1回の句会でした。仕事の関係で、途中で抜けださなくてはいけないが、ともかく月4句出すと決めている。主人が亡くなって、もうこれ以上泣けないという時、涙が言葉になって俳句になった。たまたま、NHKテレビ(その頃はテレビを見ていたんだ)の秋の俳句大会があって、筆ペンで書いた句をFAXした。そしたら、その句が画面に大写しになったそうだ。私は、写るなんて思ってもいないので、さっさと散歩に出かけていたのだが。数日後、関西に住む友人から「何か悲しいことでもあったの?」という葉書が届いた。同姓同名はいると思うが、あの字を見てあなたに違いないと思ったという。
私って俳句の才能があるのかしらんと思ったわけではないが、半年間は俳句に没頭した。それから4年か、今日、わが師匠・峯尾保治先生は、こうおっしゃった。
「あのままの路線でいけば、それなりの世界がつくれたかもしれないね」
あのままの路線って?今、読むと恥じ入るばかりの、陰々滅々の世界ね。言われるまでもなく才能はないので、コツコツ精進いたしますよ、先生。
それでも、どなたかの目にとまった私の句が、書家の手になる短冊に書かれて市民病院ギャラリィーに飾られているという。その句は、

解のなき式たてており春嵐

今日の特選句

子の顔に我の顔あり枇杷を喰ふ