俳句

2004年につくったのだが・・なんとも。自分の骨を拾えないのが人間の因果。今日も明日も過去を拾っていく。 晩秋やこの国の骨拾いけり

余震

う〜ん、とうなった1句。余震なほ厨の蜆(しじみ)口割らず福島県浅川町に住む86歳、小山田親作さんの句で、第6回日本農業新聞俳句大賞に輝いた。5年前に奥様を亡くし、地震の日も台所に立っていたのだろう。余震に脅えるように蜆の口が割らない。私も、蜆だ…

反旗

俳句誌『小熊座』編集長の俳人渡辺誠一郎さんは、 1950年宮城県塩竃生れ。 啓蟄の日本行方不明かな 影の数人より多し敗戦忌 私にとっては叙情社会派。見上げるばかりであるが、その渡辺さんの震災俳句。 祈りとは白き日傘をたたむこと 手を振れば千の手が振…

三三落語

小寒に花見長屋がありありと会場の市民会館は寒かったが、会場満員の観客は熱かった。やはり、小田原出身。三三は自慢の噺家なのだ。演目は、柳家ろべえ 『もぐら泥』、柳家三三 『加賀の千代』、柳家花緑 『長短』で、仲入り。長唄三味線スクイーズ☆ハジキ…

寒の入

指先の薄きかさぶた寒の入り12月26〜27日まで、福島市、伊達市、飯館村と回ってきた。帰ったら、声が出なくなって、2日間眠りこけた。その後、痰がからんで声が嗄れた。ブログどころではなく、写真だけ掲載してそのままだったので、今日まとめて書き留めて…

枯野

悲しみの底に手をつく枯野かな悲しみという巨人が手をついて枯野に座っている。枯野の底も、悲しくつめたい。かじかむ手だが、その底から立ち上がるのもその手からだ。手と心はつながっているんだ。でも、一度手をつかないとたちあがれない。

足があがらない

冬暮光小さき石につまずけり当たり前のように歩いているが、歩くには足を前に出すだけではなく、足をあげなくちゃいけない。しかし、加齢とともに足があがらなくなる。結果、つまずくのだ。週刊新潮で87歳になる吉本隆明が原発についてこう述べている。「科…

蓮根

蓮根の穴の向こうの初の空晴天に恵まれた箱根駅伝。国道沿いは応援の市民でいっぱいだった。注目は、もちろん柏原くんだ。しかし、私の関心はもっぱら胸につまっている痰のことだ。案の定、道で出会った気功の先生に「どうしたの」と聞かれた。赫々然々・・…

2012年

こんこんと痰きりて年明ける福島の寒さからか風邪をひき、声が出ない。ようやく今朝から黄色い痰が出てきた。こんこんというより、身体をよじるようにしてようやく痰が切れる。福島民報で痰が切れない日本を読む。それはそれで苦しい。

三三落語会

小寒に長屋花見がありありと

鎮魂

春三日月手のひらにのせ還りくる春三日月のやさしい光よ。いったい何万の霊魂を乗せているのだろか。三日月は神の手のひら。

土に還る

小寒や友還る一握の土あの大根、食べられなかったんだね。

蟷螂(かまきり)

かまきりは「蟷螂」と書いて「とうろう」と読む。「蟷螂生る」は夏の季語、「蟷螂」は秋の季語、「枯蟷螂」は冬の季語だ。かまきりの一生が季語になっているのだから、昔の人は、蟷螂に自分のなにかを考え合わせていたのだろう。蟷螂のみどり紛れぬ動きかな …

かまくら・KAMAKURA・鎌倉

鎌倉文学館の企画展は、大正・昭和の50年を鎌倉で暮らした高浜虚子。俳句はどうつくるの?まず、17文字を並べてごらん。という感じで、誰にでもできる俳句を広めた虚子。青年時代は小説家志望だけあって、文章家でもある。平易が一番難しい。鎌倉を驚か…

タンポポ

異常気象なのに花々は美しく咲き誇っている。伸び伸びと陽に向うタンポポ。1本だけの孤独を楽しむタンポポ。大家族のタンポポ。3兄弟のタンポポ。 どこからか飛んできて、またどこかに飛んでいくタンポポ。なのに根を深く土に張るタンポポ。コンクリートの…

この季節、小田原は一年で一番華やぐ。お堀端、西海子通り、花のトンネル。 鳥となり桜陰の下くぐりたり

城と桜

城の石垣に似合う桜。このお城は熊本城。1週間後の今は、花も盛りかもしれない。長野県上田市の「上田城千本桜まつり」では、観光客や市民から俳句を上田城跡公園など市内20カ所に投句箱を置いて募集している。「上田城千本桜俳句会」で昨年は過去最多の1…

寒三日月

宇宙の果てにあるような三日月。きのう包丁で切った切り傷を通して私と通信する三日月。揺れて いる地球を笑う三日月。なかなか、今晩の三日月はみごたえがある。指先の小さな傷や寒三日月

きのふの空

凧きのふの空のありどころ 蕪村ようやく、4日まとめて日記を書きました。今日の日記は、お節料理ができてから、除夜の鐘を聞く前に。数年ぶりに紅白歌合戦を聞きながら、お煮しめと玉子焼きを作る。60回を迎えるというだけあって、思わずほろりとする歌があ…

去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子去年今年は、(こぞことし)と読む。年末になるとこの句を思い出す。流れていく時間のある一瞬をとらえているわけだが、果たして日本人に「貫く棒の如きもの」があるのだろうか?内田樹は「日本辺境論」(新潮新書)で、そ…

荻窪用水の水路で、蛍を発見した。蛍の生息の条件は、幼虫の餌になる貝がいること、幼虫が蛹(さなぎ)になれる土があること、羽化した成虫が安心して休める草木があることなどで、ただきれいな水やカワニナがあればよいわけではない。乱舞のホタルの川まで…

花菖蒲

こんこんと水は流れて花菖蒲臼田亞浪という俳人の句。花菖蒲を見ると、この句が口にでる。句を作る者にとっては、やっかいな句である。 小田原城の菖蒲園に行けば、まさに「こんこん」と水が流れ、その音の中に「水」の化身のような「花」が、現れる。5月の…

花蜜柑

夫亡くすまだ5年目の花蜜柑電車でたまたま隣り合わせた友人。ガンで夫を亡くされたそうで、思わず流された涙がまだ甘い。

柔らかき五指

若葉風柔らかき五指の祈りかな同じように指をからめてみる、五月の午後。

木蓮

春のお彼岸。今年は。20日が春分の日だ。この日は真西に沈む太陽に西方極楽浄土を願う。 戒名は真砂女でよろし紫木蓮 鈴木真砂女今、桜の露払いのごとく、木蓮が咲き始めた。真砂女の詠む紫木蓮はあまり見かけないが、白木蓮は町のあちこちに見ることが出来…

城のある町で

花湧かす古城を据ゑて町古き 飯田九一飯田九一は、横浜市出身の日本画家であり、俳人・俳画家でもある。また、俳諧関係の収集家としても有名だそうで、ことに芭蕉、其角、蕪村等の短冊のコレクションは、専門家のあいだでも、質の高さを認めらているという。…

柚子の会

故奥津久恵さんは、戦後小田原初の本格的な本屋である「八小堂」書店の女性経営者である。その奥津さんの句集「命あずけて」を読んで、私は迷わず奥津さんがつくられた結社「柚子の会」に参加したのだ。奥津さんが、ご主人を亡くされてから2年目の暮れに「…

蜆汁

夕暮れから宵にかけての秋の空の変化は見ていて飽きません。青から赤へ、赤から墨へ、墨から漆黒へ。そう、今日は夕焼けでした。 夏バテか、ダウンした私。そのお陰で、ぼんやりと秋の空を眺めて半日過ぎました。9/11だからかな?久しぶりに当たり前の時間に…

芭蕉

「俳句は芭蕉の文学」と主張したのは、高浜虚子。その虚子の「俳句はかく解しかく味う」を読む。一応、俳句をたしなむ者としては、読まなくてはいけないものだろう。しかし、90年前の著書とは思えない。古へも芭蕉、今も芭蕉、後も芭蕉なのであろうか?大岡…

くちなしの花

薄月夜花くちなしの匂いけり 子規死ぬ時はくちなしの雨に溶けるがごとくがいい。