きのふの空
凧きのふの空のありどころ 蕪村
ようやく、4日まとめて日記を書きました。今日の日記は、お節料理ができてから、除夜の鐘を聞く前に。
数年ぶりに紅白歌合戦を聞きながら、お煮しめと玉子焼きを作る。60回を迎えるというだけあって、思わずほろりとする歌があったが、歌の力は生きる力なのは事実だ。
ところで、凧は、いかのぼりと読み、春の季語。「きのふの空のありどころ」。永遠の時間をこう詠める蕪村は、天才だ。過去ー現在ー未来と一直線上にある時間とも、循環する時間とも違う、この時間の感覚は日本人独自のものかもしれない。ありよう、ありどころ、これが大事。しかも、「きのうの空」の。
で、私はどうだったか?女ひとりきのふの空のありどころ。結論は出せない。
ところで、焼失した雄山荘門内には、高浜虚子の「今の世の曽我村は唯梅白し」という句碑があるはずだが・・。某氏の日記によれば、下曽我には太宰ファンか、たくさんの人が訪れているという。不在の存在感か、いかにも日本人らしい。
脈絡のない日記をお読み頂き、ありがとうございました。よいお年をお迎え下さい。