去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子

去年今年は、(こぞことし)と読む。年末になるとこの句を思い出す。流れていく時間のある一瞬をとらえているわけだが、果たして日本人に「貫く棒の如きもの」があるのだろうか?内田樹は「日本辺境論」(新潮新書)で、そんなものないんですよ、ないからいいんですよと言っている。競争原理、経済至上主義に変わる価値を見出すためにもう1度自分たちは何者かを知りたいと思うのは当然かもしれない。虚子は、いみじくも「如きもの」といっている。歴史を貫く棒の実体はあるのだろうか?