雄山荘全焼

newmoonakiko2009-12-26


下曽我を歩いて太宰治「斜陽」の舞台である雄山荘に行き当たった。中には入れなかったが、魅力的な建物のように見えた。しかし、それよりも、太宰がこの細い路地からひょいと出てくるような気配が感じられたことに驚いた。調べてみると8年前に雄山荘保存の署名運動が行われていたこともわかった。小田原市は持ち主と交渉に当ったが実現しなかった。

太宰の生家が太宰治記念館「斜陽館」となっているが、小田原市下曽我にある雄山荘こそ正真正銘の「斜陽館」だったのである。朽ちていくのを待てずに燃えてしまった。街の記憶が失われていくのは淋しい。太宰生誕100年、その年に焼失するとは。(26日12時撮影:門は残った)

ETV特集“斜陽”への旅〜太宰治と太田静子の真実〜
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
ETV特集“斜陽”への旅〜太宰治と太田静子の真実〜nhkアーカイブス
http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10002200090910050030140/
『明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子』
太田治子著 (朝日新聞出版1575円)
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/091101/bks0911010828009-n1.htm


『斜陽』の舞台全焼 不審火空き家の『雄山荘
2009年12月26日 東京新聞夕刊
火事で焼け落ちた「雄山荘」=26日午前8時28分、神奈川県小田原市

 作家太宰治の代表作「斜陽」の舞台になった神奈川県小田原市曽我谷津の旧別荘「雄山荘」から、二十六日午前四時十分ごろ出火、木造平屋建て約百四十平方メートルを全焼した。同六時三十分に鎮火、けが人はなかった。雄山荘は空き家で、小田原署は不審火とみて出火原因を調べている。

 小田原市などによると、雄山荘はかつて、斜陽の主人公のモデルとされる故太田静子さんが疎開して住み太宰は一九四七年二月に一時、滞在した。斜陽は太田さんの日記を基に書かれたとされる。作品中では「伊豆の別荘」と表現されているが、室内の描写や周辺の景色などが酷似し雄山荘が舞台だったとされる。

 昭和初期の建築物で、数寄屋造り。現在は地元の人が所有しているが、十数年前から空き家状態で雨漏りがするなど老朽化が激しかった。九三年に太宰文学ファンなどが保存や公開を求めて約四千人の署名を添えて市に要望書を提出。市は所有者と譲渡交渉などを続けたが、了解を得られず実現しなかった。

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 太宰と太田さんの娘で三歳まで雄山荘で暮らした作家の太田治子さん=川崎市=は「火事に遭ったと聞き、大変寂しい思い」と話した。雄山荘を題材にした本を最近出版したばかりだった。