幸田弘子さんの語りで20歳に戻る

newmoonakiko2006-09-03

久しぶりに幸田さんの、詩と樋口一葉「十三夜」の朗読を聞いた。プログラムには詩とあるだけで、何の詩を読まれるのかわからなかったが、中原中也宮沢賢治だった。私としては、いっきに青春時代にフィードバックだ。たったの2年間だったが、小林秀雄大岡昇平中原中也近代文学の研究では第一人者だった吉田煕生先生に学び、卒業論文も中也だった。中也の「白」という色の解釈について発表した私は、吉田先生から言葉ひとつひとつを徹底的に追求され、学友の前で立ち往生したことがある。学問としての文学を考える方法論を教えていただいたわけだが、20歳になるかならないかの女子大生には、意地悪な教授としてしか映らなかった。しかし、そのお陰か、私の卒業論文は最高点だった。吉田先生は大変喜んでくれたそうだ。そのことは、のちに先生の奥様から知らされた。不肖の弟子は、だからなんだという感じだったが。
その後、私の人生も大きく変わり、当時住まいのあった成城学園の古本屋に吉田先生監修の中也全集を売り払う。きれいさっぱり、青春を終わらせたつもりだった。それに私が飛び込んだ男の家は火の車で中也全集はその日の夕飯代に消えた。しかし、考えてみると、中也と親しかった大岡昇平(その頃は、まだご存命で第一線で執筆されていた)が住んでいる成城学園で売ることはなかった。せめて一駅先の古本屋にすればよかった。それから、20数年後、夫が出した小雑誌に吉田先生が原稿を書いて下さるという形で、再びご縁が結ばれたが、さすがに中也全集を成城学園の古本屋に売った話はできなかった。角川書店から4訂版の中也全集を出したばかりという先生は、私に角川に電話して「吉田の弟子だといい全集を送ってもらいなさい」と言ってくださった。内心、まさかと、どきりとした。
それから、私が角川に連絡する間もなく吉田先生はガンのため逝かれた。最後の役職は、城西国際大学副学長。新しい大学作りに情熱を燃やされていたという。
そうそう、幸田弘子さんの語り、さすが第一人者。よかったです。