[食]「百姓は越境する」アジア農民交流センター寄り合い

newmoonakiko2006-10-14

アジア農民交流センター(AFEC)は、タイなどアジア各国の農民と交流しながら、地消地産の市場づくりや生ゴミの堆肥化など知恵の交流を通して循環型の地域づくりに取り組み、今年の毎日国際交流賞に選ばれた。共同代表は、佐賀県の農民作家で、泣く子も黙る山下惣一さんと、山形県長井市レインボープランの立役者、菅野芳秀さんである。今日は、発足15周年の記念の寄り合い。参加者は約60人ほどだが、会場は満員となった。
この日、菅野さんが15年を振り返る報告をする予定だったが、稲刈りと地域の活動が重なったため、欠席。元事務局長の農業ジャーナリスト・大野和興さんが、15年の歩みを歴史を縦糸に時代を横糸に話され、実に興味深かった。1980年代から急激に経済がグローバル化する中で、1995年に米、そして穀物、野菜などの自由化が押し進められていく。国内の農業は、当然ながら国際競争にさらされて、疲弊していくわけだが、都市生活者の側からこの時期を振り返るとまた別な感慨がわく。
まず、夫は食のグローバル化に賛成だった。なぜ、米が安くなって悪いか。当時、食べ物がこれほど高い国はないと言い、エンゲル係数を下げるためには、安い食糧を輸入するのは次善の策ではないかと主張する。貿易の不均衡を是正する意味でも、食糧の自由化はいたしかたないというのである。商社、銀行、電通の陰謀を暴くのに全精力をかけたわりには、大本の農業に関してはその程度の認識しかなかったのが、今でも不思議だ。一方の私は、農業を経済効率でおしはかる理不尽さを直感してはいたのだが、どんなに安くても外国産の米は買わない、選挙で反対票に投じることぐらいしかできなかった。
その後、夫と共にタイに行き、ミカン農家を取材する機会がめぐってきた。タイの農民の農薬被害と借金地獄。当時は、日本が国際援助と称して日本の製薬会社の農薬をタイの農民に売りつけていたという事実も。その農薬は、タイの村の市場でドクロマークつきで売られていた。その時は、「日本の農薬が野菜になってかえってくる」というタイトルで記事にしたが、食のグローバル化は日本の農民だけではなく、世界の、ことにアジアの農民をも苦しめているのだと知ったわけだ。で、思うのだが、太平洋戦争の総括も大事だが、60年以降の平和時での日本のあり方の総括の方が大切ではないかと。
せめて食糧は世界の人みんなで分かち合いたいと思う。しかし、悲しいかな私は食糧を生産できない。地域のものを、ないものは国内のものを、腹八分目にして食べるのみだ。
アジア農民交流センターのHP
http://afec.hp.infoseek.co.jp/