[暮らし]こだわるな・・・か

newmoonakiko2006-11-11

写経は、もともとは、経典の研究、伝達、普及のためにお経を書き写すことだ。大昔は、印刷技術も当たり前ながらコピーもなかったのだから、書き写して人へ伝えていったのであろう。おちょこちょいのお坊さんが、書き間違えたこともあったのではないか。そのまま、伝えられていても、今さら分からないであろう。現代では、精神の統一、安定のために写経をするのが、流行のようだ。細かいことはわからなくても、なんとなく理解できる、それが漢字の威力である。しかし、私は般若心経の内容を現代訳で知りたいと思っていたら、あった。一般うけするヨガの本の中に出てきて、おやっと。わかったような、わからないような。こだわるな、執着するな、心配するな。これが、難しい。呪文でも唱えようか。

般若心経
  偉大なる知恵の真理を把握する肝心の教え

真理を観る心の開けた悟りの人は、
その深い知恵に依って、肉体も精神作用もすべて空無であると
達観して、一切の苦しみや災厄から免れる。

諸子よ。肉体は、すなわち無である。
感覚や想念や意欲や、或いは、自我というような精神作用も、
また無である。

諸子よ。すべてが空無である、ということは、
それが生ずるものでもなく、減するものでもなく、
穢れもせず、浄くもならず、増しもせず、減りもしない、

だから、空無の世界には、肉体も、感覚も、想念も、
意欲も、自我も、眼も、鼻も、舌も、身も、意も、色も、
声も、香りも、味も、触れるものも、思うことも、
見る世界も、かって経験した世界も、盲目的本能も、
本能の尽きることも、老死も、老死の尽きることも、
苦悩も、愛執も、安心も、修業も、知ることも、
得ることも、ないのである。

真理を求めて悟りの士は、このような徹底した知恵に依って、
心に一切のこだわりをもっていない。
こだわりがないから、恐怖がない。
恐怖がないから、あらゆる迷妄邪悪な観念から離れて、
永遠にして、聖楽なる境地が得られるのである。
過去も、現在も、未来も、いつの世の自覚者も、この偉大な知恵に
依ってのみ、その尊厳な、普遍的自覚を得られるのである。
だから、この偉大な知恵こそ、最も神秘的な呪文であり、
世に比類なき呪文である。
この呪文は、真実にして虚妄なく、世の一切の苦悩を除くものである。

では、その偉大な智恵の呪文を説こう。
知るのだ、行じるのだ。知合行一したところに、
本当のものがあるのだ。

本棚の奥から発見した夫の写経。観世音菩薩普門品喝とある。現代語で訳すとどうなるのだろうか。