[教育]君死にたもうことなかれ

newmoonakiko2006-11-14

子供の周辺にいるものにとって、最近の子供の自殺ほど心痛めることはない。私自身も、体を張って我が子を守ったこともあったし、今でも我が子のようにどの子も、一旦火急のことがあれば、必ずや守ってあげたいと思う。私だけではなく、何人ものお母さんたちが、今考えてみたら大変な危機を子供と共に乗り越えてきた。いじめ、恐喝、虐待、そこから始まる不登校、ひきこもり。「何で、我が子が・・」と思わぬ親はいない。いじめられている子の恐怖、その子の親の恐怖。教師に相談したところで、誰も真剣には受け止めてはくれない。いじめる子の言い分、いじめられっ子の言い分。結論は、けんか両成敗。そして、ただただ問題を起さず卒業してくれるのを待つ。教師は、深く子供の心に介入してはいけない。どこかにそのように書いてあるのか。なんだか、そんなふうに感じられることもあった。そんな教師に子供が本当のことを話すだろうか。自殺した子供たちは、皆学校でいじめられているのだ。現場の教師が子供を守れないでどうする、と言ってはいけないのか。昔、我々母親は、「子供を学校に人質に取られているから、何も言えない」と嘆いたものだ。私たちは、学校と戦争でもしていたのだろうか。その末路が、こうだ。教育の現場は、深く検証されなくてはいけない。教師にも大いに言い分はあるだろう。明らかにして欲しいものだ。それが、親を痛く傷つけるものであっても、甘んじてその痛みを負う覚悟はある。
と、いう親の感情論でことにあたってはいけない。まず、大人が頭を冷やし、自らができることは行い、できないことは、協力してしかるべき方法を講じる。追及ではなく、改革をしなくては。それも、国からの命令ではなく、学校関係者や我々の力で行ないたい。唐突だが、まず、企業がパートを含めて子供を持つ社員にPTA有給休暇を取れるようにして。児童手当をもらう条件にPTAに参加する条項をつけよ。そして、先生に人間らしい職場環境を。どれも、個人の力では難しいね。どちらにせよ、形骸化したPTAを実質的なコミュニュケーションの場にしなくては。いじめている子の親を排除しない手立てはないかと思う。今こそ、遠くまで見通せる深い知恵と、「正義感」を。

子どもの権利条約」を持ち出したくはないが、社会にとって子どもはどういう存在なのか。これは、大人すべてが考えなくてはいけない。今、子育て中の当事者以外の大人が深くコミットしなくてはいけないのかもしれない。知恵ある人は知恵を。お金持ちはお金を。防衛費より教育に予算を!