[暮らし]食べる・踊る・歌う①

newmoonakiko2007-03-26

タイのレインボープランが最初にスタートしたカラシン県クチナライ郡ブアカーオ市。人口約1万人の小さな町の中の村にバムルン・カヨタさんの自宅と農場がある。カヨタさんは、知的で精悍な風貌。選挙で選ばれた区長でもある。レインボープランを推進したリーダーである菅野芳秀さんとは、フリッピンの国際会議で知り合い、意気投合。ふたりとも英語での論議についていけず?会場から出てきたところで出会う。「疲れたね」「そうだね」かな?それから、もうひとつの国際会議が始まり、カヨターさんが、長井市レインボープランに共感。そして、町の人たちが生ごみを分別し、村の人たちが有機農業を始めるきっかけになるタイのレインボープランが始まったという。

さて、その夜、私たちを歓迎するパーティが開かれ、村の人たちもたくさん集まってくれた。藁でできた舞台にスースーバンド。プアチーィツト(生きるための歌)は、政治、経済、自然破壊、貧困など、タイのもうひとつの現実を歌う。70年のはじめ、タイの民主化運動の最中に生まれたサウンド。日本のフォークよりもメッセージ性が強いかな?スースーは、1988年に結成されたグループで、今やビックバンドってことは、知らなかった。「赤蟻の卵」は、実際赤蟻の卵を食べながら、その逆襲か、赤蟻に足を食われながら聞く。また、村の衆の密造どぶろくを飲みながら、「密造酒」を聞く。実にリアルだ。タイトルしか通訳してもらえなかったが、歌詞は見当がつく。
最後は、「レインボープラン」。春 山形県にある小さなまち長井/日本のイサーンに位置する山形県/山から静かに雪解け水が流れ 村人の田んぼに行きわたる/農民たちは田植え機をつかって田植えに励む/堆肥はレインボープランによってつくられた生ごみからの堆肥/稲穂が満開 化学肥料 農薬に頼る必要はない/日本の米はふっくらと丸みをおびた形をしていた という歌である。最後、レインボープラン レインボープラン ナガイ と2回繰り返す。これ、けっこう耳について閉口するね、と我々一行は不遜にもささやきあったっけ。ごめん。(松尾康範著「NGO東北タイ活動記 イサーンの百姓たち」の中では、この歌が美しい日本語で訳されている)

数々の歌のお礼に日本の歌をご披露せよという。スーさんのリクエストで、「赤とんぼ」を女性全員で歌うことに。さらに歌詞を解説せよと。頭は赤蟻バージョンなので、赤とんぼの歌詞が浮かばない。ものすごくはしおったら、スーさんが見事に解説してくれた。今度、機会があれば、ないだろうけれど、「ふるさと」を歌って、きっちり解説して差し上げたいものだ。

宴会にどっぷり浸ったため、携帯での写真はなし。後日、撮影した写真の中からアップします。