[花]浜田バラ園のバラたち

newmoonakiko2007-04-07

神奈川県平塚市。駅からバスで15分、横内下で降りる。昔は、一面畑だったが、今では工業団地ができ、それを取り囲む住宅地に変貌している。ここは、知る人ぞ、知るバラの産地なのだが、原油の値上がり、安い輸入バラ(ケニアが主な輸入国とか)に太刀打ちできず、ここ10年の間に40軒のバラ農家が約半分になったという。
浜田さんとは、5年ぶりの再会。4年前の大晦日紅白歌合戦北島三郎を聞いているうちに記憶が遠くなり、そのまま救急車で運ばれたという。クモ膜下出血。7時間に及ぶ手術は成功。無事、生還した。入院していたべットの上で、浜田バラ園のバラをこよなく愛した写真家の秋山庄太郎さんの訃報を聞く。その後、バラ園をすべて息子さんと弟に譲り、浜田さんは相談役に徹しているという。
バラ作り、43年。世界のバラ産地を1年かけてみて回った後に温室の中に森や林の土を再現する技術を確立していく。「土を深く耕して、堆肥を入れる」という学者に「先生、地球の重力を考えてみると、耕さないほうが、植物にはいいのではないか」と問う。植物の根っこも呼吸しているのだ。酸素を切らしてはいけない。その時、思い出したのが、肥溜めに生えてきたかぼちゃだったそうで、土に這うように成長する根毛にヒントを得たという。米ヌカ、発酵鶏糞、EMで、自家製有機肥料を作り、ミミズのたくさんいる健康な土から、それは見事なバラを栽培している。
浜田さんのオリジナル、マダムヴィオーレ(すみれふじ)という名の紫色のバラは、某化粧品のアイシャドウのイメージカラーになったり、一風堂の「セプテンバーラブ」という曲にもなったという。なぜ、このバラの開発をしたかという話も興味深いが省略。ある年の暮れには、イタリアで活躍するオペラ歌手から、バラ2000本の注文を受けたことも。
今時、花屋を選んで出荷するのだから、すごい。「通販生活」から売って欲しいという話も断ったそうだ。こういう話は、自慢話に聞こえるのだが、浜田さんが話すと非常に謙虚に聞こえる。「養鶏でいえば、即席のブロイラーではなく、自然養鶏を行っているのだ。そんなに大きくしては、潰れてしまう」と。「病気をして顔が変ったでしょ」「ううん、全然変らない」。でも、もっと大きなところで変ったと思ったが、口には出さなかった。

香り、立ち姿、どれも、気品がある。しかも、力強い。そのまま食べてもおいしそう。あっ、バラは食べませんね。