[食]甘夏で〜す

newmoonakiko2007-05-08

小田原にミカンが植えられたのは、1800年代。小田原藩士が熊本から引っ越す際に苗木を持ち帰り、家の庭に植えたらしい。それから、藩主さまにもことのほか気に入られ、城下町のこと、天才的な植木職人の手によって、接木されながら、今にいたる。大雑把に言えば。ミカン栽培の北限が小田原。一大生産地として名を広めたのは、昭和30年代だという。南のミカンが終わった頃、甘味が加わり、珍重されたという。保存がきくため、海外への輸出も盛んだった。その多くは、缶づめ用だったらしいが。最近、ミカンの缶づめ、食べてません。その話をしてくれたのは、小田原根府川在住のIさん。「山形からの出稼ぎの人が半年家族同然でミカンもぎをしてくれていたんだよ」。勤めをリタイアした今、甘夏の手入れに精を出しておられるが、ミカン栽培も自分の代で終わりの覚悟という。
後継者不足など問題は山積みだ。しかし、早川から根府川、米神一帯は、今でもオレンジの品種改良が盛んで、地元の人間は、新鮮でおいしい柑橘類を豊富に食べることができる。30年前、ミカンの花の香りに包まれた石垣山に登った時に思わず、♪ミカンの花が咲いている・・という歌を口づさんでしまったほど、あの歌の風景そのもののが、目の前に広がっていた。今でも、そのままだろうか。

(今日の俳句)
海の底魚伸びしてみかん咲く