[暮らし]小田実死す

newmoonakiko2007-07-30

宇井純さんに続いて、小田実さんが亡くなった。享年75歳。1965年に「ベトナムに平和を!市民連合」(べ平連)を結成、代表をつとめ、以後、反戦の立場を貫いた行動作家。ベストセラーとなった旅行記「何でも見てやろう」。私がこの本を読んだのは、高校生だったと思う。東大を卒業後、フルブライト留学生として渡米、南米や欧州や、アジアなどを、ブロークンの英語をあやつりながら、人種や国籍にこだわらず、同じ人間の視線で見てきた話は、ものすごく新鮮だった。終戦の後始末がどうやら終わり、戦争をまったく知らない子どもたちが、思春期を迎えている頃の話だ。世界の人々がどんな暮らしをしているのか見てみたい、若者の好奇心に火をつけた。

小田実をべ平連の代表にすえた、哲学者の鶴見俊輔は、「戦争が遺したもの」(新曜社刊)の中で「小田は、植民地を持っていない日本人なんだよ。アメリカやヨーロッパにはへいこらして、アジアには威張り散らすという人間じゃないんだ」と評して、「何でも見てやろう」にあるあの広がりの感覚が、ベトナム戦争をよそごとにしなかったと語っている。小田自身も、自分たちは「3代目日本人」と称して、欧米に追いつけ追い越せの明治の「1代目」、戦前の「2代目」がナショナリズムに目覚めて夜郎自大、3代目は初めから対等な関係で相手を見ると言っている。「市民」という言葉が定着したのも、このころからだと思う。しかし、べ平連的な市民運動は今可能だろうか。3代目に続く、4代目は、世界同時性のネット世代だ。「何でも知ってやろう」というのは、広がりの感覚になるのか、あるいは、閉じた感覚になるのだろうか。

ちなみにその頃の私は、東京都の高校新聞連盟に所属して、新聞を作っていた。各高校の持ち回りで記事を書いていたのだが、「自殺」について特集を組んだ覚えがある。校正を終えて帰る渋谷の夜の道にべ平連の旗がたなびき、「ベトナム戦争反対!」という声が響いていた。そのデモの先頭にわが親友を見つけて、衝撃を受けた。彼女らしいという思いと、先を越されたという思いが交差したことを昨日のように思い出す。

小田さん、お疲れ様でした。「市民」という視線を4代目につなげたいものです。