死に場所

newmoonakiko2007-11-04

鎌倉文学館で「生誕100周年記念中原中也展」が行われている。中也の生誕地、山口県湯田温泉には行ってきた。が、中也終焉の地鎌倉での企画展は、また違った思いで眺めた。中也が鎌倉の寿福寺境内の貸家に住まいを移したのは、1937年の2月。前年に長男・文也を亡くし、その後神経の変調をきたす。千葉の療養所から、小林秀雄の暮らす鎌倉へ移転した。しかし、中也はまるで愛児の後を追うようにその年の10月22日に結核性脳膜炎で亡くなっている。享年30歳。
9月30日に書かれた最後の4行詩
おまえはもう静かな部屋へ帰るがよい。
煥発する都会の夜々の燈火を後に、
おまえはもう、郊外の道を辿るがよい。
そして心の呟きを、ゆっくり聴くがよい。
中也は、小康を得たら、故郷湯田温泉に帰る心つもりだったという。が、それはかなわなかった。多くの文学者を生みだし、育んだ鎌倉という土地に辿りついた中也。たった半年だったが、それも、偶然ではないように思える。生誕地の記念館では、まったく気づかなかった4行詩であるが、今日はほろりとしてしまった。おまえとは、私だ。

と、ひととき青春をめぐっていると、おもしろいことを思い出した。なんだか世間一般とは違う恋愛にうつつを抜かしている娘(云十年前の私)に手を焼いた母親が、見合いの話を持ってきたことがある。その相手が、「鎌倉書房」の男性だったのだが、私には、「鎌倉消防署」と聞こえて、即座に断ったのである。なんで火消しの男と見合いせんならん。と思ったわけだが、よくよく後で聞いてみると文学青年ならいいのではないか、という母親の考えだったらしい。(以来、見合いの話は1つも!こなかった)。鎌倉駅でたまたま会った友人にこの話をしたら、大声で笑ってくれた。この話が首尾よくいっていたら、私の死に場所も・・・なんてね。

小澤さん(民主党の)、死に場所がなくなってしまった。ひとりクーデターじゃなくて、自民の陰謀だ。だとしても・・だ。