俳句的生活

newmoonakiko2008-01-13

本日は、めったにない珠玉の一日。小雨が降る中を1冊の本を携えて向かった先は、箱根湯本。板橋には、箱根山いたるところに向かうバスがやってくる。山が呼べば、バスに乗ればよい。けれども、当然ながらそんなのんきな毎日があるわけではない。天気予報の通り、山の上は雪模様。初雪である。山の上、強羅あたりまでは行く元気はない。あたりは冷え冷えとしているが、温泉街は観光客でごったがえしている。箱根湯本駅が改築工事をしていて驚く。箱根登山鉄道は、小田急に合併吸収されたが、さすが小田急。さっそく駅を新しくして、箱根はますます小田急のお庭になるのだろう。
さて、旅人にまぎれこむように歩く。お目当ての某ホテルのロビーも、いつにはない賑わいだ。ホテルのロビーで本を読むスタイルを教えてくれたのは、70歳の先輩である。小田原の某書店のお嬢様で、ご主人を亡くされてから、読書三昧。本がなくては生きてはいけないというぐらいの本好きな彼女。タクシーでホテルに乗りつけ、コーヒー一杯で半日を過ごす。帰るときには、ホテルマンが、うやうやしく最敬礼する。ご主人のごひいきのホテルだったらしい。私も、生意気にもやってみたいと思っていた。今日は、雨でも行くぞと決めていたのだ。しかし、予定外だったのは、寒さで歩いている途中で、体の芯まで冷えてしまった。そこで、大枚1800円を支払い温泉に入ることに。温まった体を座り心地のよいソファに埋めて、本を読むこと3時間。長谷川櫂著「俳句的生活」読了。長谷川櫂は1954年生まれ。読売新聞を早期退職して、俳句結社「古志」主宰、朝日俳壇の選者でもある。十七音という短い文型の中にこめた日本人の壮大な宇宙観、人生観を解読する試みは、俳句初心者の私には実に勉強になった。言葉を「切る」「捨てる」ことで、現れる時空。
白梅のあと紅梅の深空(みそら)あり 飯田龍太
「1句のもたらす白梅と紅梅の幻影のすべてが「白梅の」といいかけて「あと」で軽くかわし、一気に「紅梅の深空あり」と切り下ろす龍太の気迫の上に成り立っている。その終わりとなる「深空あり」の切り口の鋭さ、切れ味のみごとさ。」と絶賛している。短く言い切るというのは、本質をずばりと言い当てなくてはならない。ある種の潔さ、同時に自己肯定なくしてできない。さらに長谷川は、「俳句」と「自殺」は相容れないとまで述べている。この説には、どきりとした。では、表題「俳句的生活」とはどういうものか?生活は小さく折りたたみながら、意識は広大無辺な宇宙に繋がるということか。まず、からだの贅肉をそぎ落とさなくては。


暁庵のせいろそば。本日の最後の1枚を食す。