[追悼]柳原和子へ

newmoonakiko2008-03-07

京都に行くとなった時、今回は柳原和子を見舞おうと思っていた。何年ぶりかに会った友人が、柳原和子の連絡先を知っていたのだ。彼女は、京都にいなかった。どこの病院にいるのか、ホスピスなのか、わからなかったが、重篤であるということはわかった。柳原和子の一番近しい友人のメールアドレスだけは教えてもらったが、今にして何を伝えるべきか。ただただ、安らかにと祈るばかりだった。

新聞によれば、2日、都内の緩和ケア病棟で、亡くなったという。ちょうど半月前、京都烏丸のカフェに座り、高い空から降りてくる小雪を眺めていた。空は晴れているのに雪が舞う。雪国ではよくあることだというが、私は不思議な空間に身を置いて、ぼんやりと過ぎ行く日々に思いをめぐらしていた。
ほら、私らの青春が、あんなに遠くにあって・・そして、静かに雪を降らせているよ。

同級生柳原和子は、タイ・カンボジア国境の難民キャンプでのボランティア経験をもとにした「カンボジアの24色のクレヨン」を朝日ジャーナルに執筆してデビュー。世界40カ国で暮らす日本人108人に取材した「『在外』日本人」に私は、「柳原、すごいぞ」と心底感心した。

47歳の時にがんを患い、病をきっかけに医療現場を取材し、長期生存患者へのインタビューや医師らとの対談をまとめた「がん患者学」を出版。患者の視点で現代医療を考察し、がんが再発した後も、闘病記「百万回の永訣」などの執筆や、テレビ出演を続けていた。私の全体をみよ!と強く迫った患者、柳原和子に現代医療は何をもたらしたか。私には、そのこと自体もあまり興味はないことだが、それはそれで壮絶な人生だったのだと思う。

最後に会ったのは、東京での代替医療の集会であった。京都に引越し、玄米菜食や気功を行い、寺院をめぐっていた頃。再発前だったのか、彼女はがんを克服したかに見えた。会場で私たちは、笑顔で挨拶を交わした。おだやかなよい笑顔だった。

今頃は、我らの恩師、吉田煕生先生とあの世で、一杯やっているだろう。先生、たっぷり労わってやってね。正真正銘、がんばったんだから。

柳原和子のHP・
http://yanagihara-kazuko.com/index.html