デジタル社会

newmoonakiko2008-06-22

鎌倉の大仏・高徳院で今道友信先生のお話を伺う。86歳の哲学者が語る「芸術について」。過去の学問を検証しつつ、現代そのものを哲学する。いつものことながら、学問の楽しさ、自由さを学ぶ。今日、先生が提起された、「21世紀は指の文明」は、実に興味深い。たとえば、自動販売機。お金を入れて指でボタンを押せば、ものが買える。ネット販売も同じ原理だが、ここではお金もクレジットカードの番号を指で入れて精算できる。指の文化は、数の処理文化とも言える。もはや、言葉は無用。ただ、ここには大きな落とし穴もある。数さえあれば、なんでもOK。数が違えば、どうにもならない。合理性と非合理性が背中合わせに存在するのだ。

以下は、私の未熟な頭で考えたこと。
最近言われなくなったが、国民総番号制というのも同じ。こうした指で処理する数の文化の中で、多様な人間性がどうなっていくのか。指という局部のみ使う文化で人間の身体性はどう変化していくいのか。今、中高年だけではなく、若者が真剣に生き方としての農業に共感していることも、このことと無縁ではあるまい。これは、アンチ近代=農本主義の流れを汲む現象とは異質な急激に失われた身体的なことばへの希求ではないかと思う。

今道先生がおつしゃる通り、神仏が考えてもいないことを人間は考え出した。そのことで、痛い目にあっているのが現代の日本人だ。おばさんでも、真摯に考えねばならない。