美について

newmoonakiko2008-06-23

最近、小田原の街でいろいろな人に話しかけられる。名前も知らない人もいるし、子どもが同級生のお母さんもいるし、隣り近所の人もいる。選挙の影響かもしれないが、私が直接支援をお願いしたりした覚えはないので、たまたまなのかもしれない。でも、話はどうしても新市長の話になってしまう。結論は、「よかったね」だから、もともと惹き合う関係にあったのかもしれない。

さて、今道先生の著書「美について」の中にこうある。「美」が犠牲の象徴である「羊」と「大」でできていることに触れて、「その払うべき犠牲がきわめて大きくて、規格を脱し、己れ自身が滅びるほども大きいという構造が美である」と。「我」の上に「羊」が乗っている「義」は、自分の払う犠牲の大きさが一定の大きさに収まり、「羊」を器の高つきの下部を意味する「豆」に納める「善」もまた、我欲を捨てなければならない犠牲ではあるが、自分という枠から出ることはない。「すなわち、美は道徳上の理想的な徳である善よりも上位にあって、宗教上の理想的な徳として存在する最高理念である」と結論づけている。

新しい小田原は、美しい小田原でなくては。明日、市議会で一般質問が行われる。「公」に生きる人が「美」でなくてどうする。