[俳句]俳句脳
おや、俳句脳ですか?(お暇な方は、俳句脳を日記内検索して)茂木健一郎と黛まどか。人気の脳科学者と若手俳人の共著のタイトル。茂木氏は俳句は日本人のひらめきの原点という。
黛まどかが、俳人秋元不死男の「短歌は情熱の詩であり、俳句は諦めの詩である。短歌は悩みの歌であり、俳句は悟りの歌である」という言葉を紹介している。その秋元の俳句。
多喜二忌や糸きりきりとハムの腕
鳥わたるこきこきこきと罐切れば
最近、糸をきりきりと巻いたハムも、こきこきと切る缶詰めも少ない。しかし、想像しながらこの句を味あうと、この17文字の余韻は、情熱でも悩みでもない。諦めであり、悟りであるというのが、わかるではないか。黛まどかは、「短歌は懺悔の歌であり、俳句は祈りの歌である、と思っている」と書いている。考えて見れば、情熱があり悩みがあればこそ、諦めがあり悟りがある。
「俳句脳」の次は「短歌脳」を読みたい。茂木健一郎のお相手は道浦母都子かな?。
ところで、私の俳句脳はどこにいった?