反戦の母になり損ねた?

newmoonakiko2008-09-10

20歳も過ぎれば、立派な大人である。すべては本人の自覚に任せるのが基本だ。しかし、ある日突然山など登ったことのない家族にこういわれたらどうしますか?

「仕事が終わったら、富士山に登るから夕飯はいらない」。
「散歩に行くついでに富士山に登った人はいない」。なにかの本にこんな言葉があったなぁ。
要するにすべて計画が大事だという喩えだったと思う。

「富士山は、仕事帰りに行くところと違うよ」。

息子は、鼻先でふふんと笑って、仕事に出て行った。その日、夜の10時を過ぎても帰ってこない。あいつは、スーツ姿で登りかねない、母親はとんでもない心配をするものである。そうこうするうちに息子は一緒に登るという先輩と一緒に帰ってきた。登山の用意は完璧だという。先輩という友人も、温厚そうで分別があるように見えた。まさか、散歩のつもりで富士山に登る人間のようには思えない。

リックを背負い、薄物のダウンジャケットを着こんで、「行って来るよ。めざすは、日本一の山〜」と歌うように出発していった。このノー天気さは誰に似たのか?私か?

そして24時間後、息子は案の定ヘロヘロになって帰ってきた。その第一声は、「俺、死ぬかと思った」。

話はこうだ。
5合目の夜景の美しさを満喫し、頂上目指して歩きだしたが、まず先輩がダウン。なんとか励まし支えあって二人で登頂に成功したが、なんと所要時間9時間。普通は5時間なのに。かなりの年配者が若者ふたりを尻目に楽々登っていくのを唖然として眺めたとか。ともあれ、散歩のついでに富士山登頂の夢は叶えられた。

しかし、しかし、それで終わらないのが人生?というもの。昇りあれば、下りあり。午後の昼下がりとはいえ、霧がかかり、降りるべきルートの看板を見失う。ドカンドカンという大砲の音があたりに響き始めて、あろうことか、自衛隊の駐屯基地に入り込んだと錯覚。砲声に身震いして、あたかも戦場にいる気分。飲み物は、コーヒー缶1本。先輩に一人で飲むなよ、と念を押されて、これはやばいことになったと観念したところに小屋を発見。

「助けて〜」と駆け込んだら、おみやげやのおばさんの方が何事かと驚いた。「ここは御殿場口だよ。どこも迷ってなんかいないよ」と大笑いされたという。よくよく考えると、道はちゃんとあったのだから、駐屯基地に入るわけがない。登り口に「流れ玉に注意」という看板が、頭に浮かんですっかり「流れ玉で殺される」と思い込んでしまったというのだ。

大笑いした私は、思う。日本の象徴の冨士の裾野に自衛隊は似やわない。単なる息子の妄想でなかったら、反戦の母になるところだった。