小田原の遺構

newmoonakiko2008-10-26

現在、小田原高校がある城山地区は、八幡山と称され、「小田原城八幡山遺構群」が地下深く眠っていることはわかっている。今回、小田原高校のグランド整備のために発掘調査が行われ、小田原城外郭図に描かれている中世小田原城の「西曲輪西堀」「三味線堀」「本曲輪北堀」が発見された。新聞にも報道され、たくさんの市民が見学した。自分の足元に江戸時代がそのまま埋まっているのを実際に見ることができる。めぐりあわせというものだろう。

今回は、縄文時代の土器、弥生後期、古墳時代中世、近世、そして、近代の丸善のインク壺、箱根仙石原のぼくよう牛乳のビンなど、紀元前1万年から100年前までの遺物も発掘された。歴史のある町とひとことでいうが、この地層に刻まれた刻を思うと、なんだかなにもかも小さなことのようにも思える。この遺構群は、土がかぶされ、少なくとも半世紀は、人の目に触れることはない。加藤市長は、明日母校の校舎の下に現存していた遺構群を見学するという。

北条氏が栄えたのは、城を囲む堀の頑強さ、緻密さにあることが、だんだんと明らかにされてきた。先人たちが、現代に生きる私たちにどう街をつくるか、語りかけてくれたと思いたい。