[暮らし]小田原城馬出門

小田原市教育委員会文化財課の諏訪間順さんから、「小田原城の調査と整備」についての話を聞いていなければ、なんで松を4本も切るのかと疑問に思ったかもしれない。大手門、馬出門、銅門、常盤木門を通って天守閣に至る。平塚方面から突き当たる場所に大手門があり、そこをくぐった武者は、馬出門で馬から降りる。いわば、この門の筋をめぐっていくのが、城下町小田原の真髄ともいえる。

とすると、現在も予定されている警察跡地にホールを建てていいのだろうか、という疑問がわく。このことは、市民も不勉強だったし、議会も問題にしなかった。幸運なことに小田原高校のグラウンド予定地では「障子掘」が発掘され、たくさんの市民が見学した。中世と近世。2つの城があった日本で唯一の土地が小田原なのだということを再認識した市民も多かったはずだ。

昭和35年コンクリートで再現された小田原城はそれとして、実は私たちの足元で3万年の歴史が静かに眠っている。考古学者でなくても、歴史のロマンを感じるではないか。先日、行われたまちづくり検討会の仙田委員長が何度も「小田原の歴史環境を生かしたまちを」と述べていたが、環境に配慮したまちづくりは言うまでもなく、アートを生かしたまちも、21世紀は当然である。次回までに検討委員はまちづくりのコンセプトを事務局に提出することになっている。大いに期待したい。ことに市民の検討委員は、小田原の歴史をしっかりと認識して欲しい。

金になるかならぬか、金がおりるかなどというのは、その後の話だ。元の計画をひっくり返し、まともなホールを作りたいと願っているのだ。お金が借りられるうちに建ててしまえ、という安直な考えを止めたのだから、もう少し我慢しよう。やせ我慢だといわれても、我慢して、検討委員会の答申を待ちたいと思う。

お城通りから、お堀に向かう最初に「ごみは出すな」という命令調のポスターが気になってしかたがない。「ごみを持ち帰って下さってありがとう」的な言い方に変えたい。観光客の回遊性どうのこうのという前に小さなことから、始めたいものだ。