[暮らし]お城のある街

newmoonakiko2009-03-02

今治城は江戸の初めに城づくりの名人藤堂高虎によって作られた。しかし、高虎が今で言う転勤のため丹波亀山に赴任したため、このお城の天守閣も一緒に行ってしまったという。長い間幻の城だったのだが、昭和55年今治市市制60周年を記念して今治城が再築された。こぶりながら、美しいお城だが、私をびっくりさせたのは、鉄御門(くろがねごもん)である。こちらは、平成15年、今治城築城・開町400年記念として復元されたものだ。

お城は、再築。門は復元。この差は実に大きい。小田原の銅御門は一直線であるが、こちらは枡形をしていて、敵を四方から迎え撃つことが出来るのである。最近、小田原城を観光ガイドの方に案内してもらったので、少しお城についてはわかるようになった私は、興味深くこの門の内部を見た。城よりも門が大事なのだ。門あっての城郭なのだということも。

鉄御門は、門そのものは名前の通り鉄でできている。まだ木の香りがする内部を見学することができる。小田原の銅御門(あかがねもん)も一般公開すればよいのに。人の手が入らないと、痛むし、それに門の構造を知れば、お城がさらに魅力が増す。今治城の鉄御門を復元した広島大学の三浦正幸教授が「今治城の素晴らしさ」について講演しているが、その中で今治城の鉄御門の厳重さと格式の高さは日本一だが、今治市民にはその認識が足りないのではとやんわりと批判している。

城下町おだわらにまたひとつ馬出御門が現れる。大手門をくぐり、馬出御門で大名が馬を降りる。ドラマが始まる門なのだ。小田原城は、今治城よりも壮大であるが、市民にその認識があるかどうかはわからない。