たんぽぽ

newmoonakiko2009-03-12

茨城県水戸市の鯉淵学園農業栄養専門学校の農園のあぜ道に見つけた一輪のたんぽぽ。鯉淵学園は、食材の生産現場である農と食卓までを見据えて農業を学ぶことができる全国でも珍しい専門学校。今年度から、2年制の食農環境科(有機農業コース・アグリビジネスコース)と食品栄養科がスタートする。

「タネまきから食卓まで」というコンセプトは、まさに現代にぴったり。しかし、この学校に負わされた使命の変遷を伺うと、今有機農業に戻ることは、やはり国民がお腹いっぱい食べられるようになったからだという思いにいたる。というのも、昭和14年から終戦まで、およそ134haの広大な面積の敷地は満州開拓のための農業訓練所で、全国から開拓の夢をもった14〜18歳延べ86、000人が、集まったという。

そして終戦の年に全国農業会が敷地と180棟の建物を引き継ぎ、「高等農事講習所」として創設する。3年後の全国農業会の解体後は、「財団法人農民教育協会」を設立し、3年制の専門学校として農業の近代化をすすめる役割を果たす。農業技術と経営の近代化。さらに農村女性の生活改善が加わる。農村のいわゆる「かまどの改善」が普及した昭和45年には、「農村生活科」を「生活栄養科」と改め、食生活の改善を視野に入れることになる。4年制の農業・生活専門学校へと制度変更を行い、正式に「農業栄養専門学校」となったのは、平成17年のことだ。

この間、2度にわたる農業基本法の改正があり、米の自由化があり、公害問題があり、食の安全性を問われる問題があり、この学校の外は大嵐が襲ったわけである。さらに農業人口が減る中で、この専門学校が生き残っただけでも奇跡というべきかもしれない。常に時代に要請されるものを社会に送り届けながらも、厳しい経営の中にあることは十分に想像できる。

現在でも50haある広大な敷地を歩きながら、満州から帰れなかった若者を思う。終戦後の食べることで精一杯の時代を経て、今では他国の食べ物を頂き食べすぎで、病気になっている我々、自分の国の農地が荒れ果ててもよいと思っている我々。自衛隊の若者には武器より鍬を持たせたい。と、たんぽぽが言っているよ。