向い合わせの墓

newmoonakiko2009-03-23

息子の名前に林太郎とつけた友人がいる。その子、見事に今時珍しい文学青年に育ち、小説修業にあけくれ、親を悩ませている。親の責任だと思うが、親となると複雑なんだと。森林太郎は、小説家森鴎外の本名。三鷹市禅林寺にお墓がある。ここは、太宰治の墓があり、毎年6月19日には太宰を偲ぶ「桜桃忌」が行われている。

森鴎外が、亡くなる3日前に口述筆記させた遺書が、山門わきに碑として建ち、「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス(中略)墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可カラス」と刻まれている。遺言通り「森林太郎」とのみ彫られた鴎外の墓は、1927年に向島弘福寺からこの寺に移され、それ以降、与謝野晶子斉藤茂吉永井荷風などがお墓参りに訪れたという。この遺書の複製400円、社務所で売っている。

太宰治の墓は、ちょうど、森鴎外の墓の斜め前にある。こちらも、鴎外にならってか、墓には太宰治と刻まれている。妻美知子宛の遺書は、「あなたをきらいになったから、死ぬのでは無いのです。小説を書くのが、いやになったからです…」。これは「グットバイ」の草稿でもあるのだが、「じゃ、なんで女を道連れにするのよ」と言いたくなるではないか。しかし、この1文は女にとっては後を引く。

小説を書くのがいやになったという時代の背景は考えられなくてはならないだろうが、いまや小説が成立しない時代なのだ。太宰に続いて年間3万人の自殺者がいるが、めっきり心中は減っているように見える。文学の不毛と関係があるのかもしれない。

ともあれ、向い合わせの鴎外と太宰。隣合わせには、なるまい。