尊徳の墓

二宮尊徳の生家は、小田原市富水にある。でも、尊徳のお墓は小田原にはなく、栃木県日光市如来寺境内にある。幕府の命令でを今市を中心とする日光神領内の荒廃した農村を復興するために小田原を後にしたのだ。その4年後の1856年(安政3年)10月20日に尊徳は今市で70歳の生涯を閉じることになる。

「私を葬るに分を超えたことをしてはならない。墓石を立てることはするな。碑も立てるな。ただ土を盛り上げて、そのかたわらに松か杉を1本植えておけばそれでよろしい。必ず私の言うことに違うな」と亡くなる間際に門人たちに遺言したという。

当初遺言どおりに墓石は建てられなかったそうだが、門人たちや尊徳の奥さん(波さん)の意志により、死後3年たった1858年(安政5年)に立派なお墓が建立された。尊徳は2度と小田原の土は踏まない覚悟で今市に赴いたというから、今市の土に還ることは納得ずみであったことだろう

しかし、最大の理解者の藩主大久保忠真亡き後の小田原出入り禁止、先祖の墓参りもさせない尊徳への扱いを知ってみると、自ら小田原への想いを断ち切った旅たちであったようにもみえる。骨はなくても、土を盛り、1本の木を植える、敬愛を込めて尊徳さんのお墓を小田原のあちこちに作りたいものだ。