主観と客観

newmoonakiko2009-05-23

ショウィンドーの硝子に自分の姿が映っていない、ってことありませんよね。普通はそんなことない。ちゃんと自分のありのままが映ってるはず。でも、私はときたまそれを見失う。

駅に鏡がなくなってどのくらいたつだろう。たぶん、オウム事件の後ぐらいか。公共に自分を映す鏡がなくなったことは、現代の象徴的なできごとだと思う。そんなことを考えたのは、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開催されている「没後80年岸田劉生 肖像画をこえて」を観たからだ。岸田劉生は、大正期を代表する画家で、麗子像など独自の写実的な画風で知られている。自画像を含む80数点の肖像画を一挙に観ると、人間の顔の中にある生存の美が迫ってくる。

岸田劉生は、評論や随筆などで、「人の顔は、画家の前に画家の内なる美を誘い出す美を持っている」といい、また、「何物にもまさって人間の顔にアトラクションを持つことが多いのは、自分の生活が人間、生きた人間を慕うからだ」とも書いている。愛あるところに美があるとも言っているように思える。

自分を映し出す鏡、その鏡と同じ、自分を映し出す他者なくして、どうして人は生きられるだろうか?

ともかく、まずは、鏡だ。