桜桃忌

太宰治の生誕100年。生まれ故郷の青森金木町、終焉の地、東京都国立市では、それぞれ記念の事業が行われた。金木町には、太宰の銅像も建立されたという。この日は、誕生日というよりも、愛人山崎富栄との玉川上水入水自殺の後、ふたりの遺体が発見された日でもある。太宰39歳。

太宰治は、昭和22年2月に小田原の下曽我に太田静子を訪ね、雄山荘に5日間滞在。静子の日記を借りて伊豆の三津浜安田屋に投宿し「斜陽」を執筆する。6月に完成とあるから、4ヶ月で書き上げたことになる。この年は、太宰にとって火宅の極み。4月に山崎富栄と出会い、同じ頃、次女誕生。11月に静子との子どもが誕生している。そして、翌年「桜桃」「人間失格」「グットバイ」を執筆して、6月13日に入水自殺。一寸先は闇という、戦後の小説家のただならぬ様相が、そこにある。

人間失格」を執筆した熱海起雲閣は、太宰ファンは立ち寄っているが、小田原の下曽我を訪れるファンは少ない。いずれも文学の道にすすんだ、津島祐子、太田治子のふたりの娘たちも68歳。太宰の年齢の倍を生きたことになる。

さて、友人たちに、太宰をどう思うと聞いても、そりゃ、今は村上春樹でしょうと言う答えが多い。でも、村上春樹も太宰を読んでいるにちがいない。