無抵抗にも限界がある

東京平和映画祭で、平和、人権、環境をテーマにした映画を何本か観た。
なかでも、「Undercover in Tibet」は衝撃だった。制作したタシ・デスパはチベットに生まれ、18歳のときネパールを抜けインドへ亡命。英国籍を取得して11年後の2007年、母国へ潜入。中国のチベットに対する言論、人権・思想弾圧に苦しむ市民にインタビュー。2008年当時の中国支配の実態が克明に描かれている。

遊牧民への強制移住、女性に対する強制避妊手術、思想弾圧、拷問。その言語を絶するやり方には、怒りを超えて絶望してしまう。ダライラマの教えを守るチベット人が、「無抵抗にも限界がある」という、この言葉が真実なのだろう。

領土と資源を必要とする中国がある。そのためには、民族をまるごと消滅させてもいいという中国がある。そういう事実も知っておかなくてはならない。「無抵抗にも限界がある」が、「限界」を超えたら「破滅」しかない。「限界」を超える前に「武器」ではない「手段」を・・だ。そんなことより、彼らが今生きているのだろうか?

実は、この映画の前に在日2世の作家・朴慶南さんが、日韓併合100年の歴史を語り、いまだに続く在日への蔑視を激しく突いた。無抵抗にも限界があるかもしれない。ならば、沖縄はどうだ。日本はどうだ。この「無抵抗にも限界がある」という絶望の連鎖をどこかで断ち切らないと世界は平和になれない。しかし、戦争の方程式は、そう複雑なものではない。普通の市民が、真実を知り、おかしなことは追及していく。少なくとも、知って、伝えて、生き延びていくことが、最大の抵抗じゃないか。