[俳句]秋

小田原高校グランド南にある俳句文学碑には小田原の俳人3人の句が記されている。

睡蓮を思い浮かべる相雨  東郊
杉くれて地に花著我の惑いなし 夢洋
鶏頭にそまりし石や猫ねむる  久恵

佐倉東郊は、大正13年、弱冠17歳で俳誌「暁雲」を創刊する。小田原俳壇の祖ともいえる存在だ。杉山夢洋は、小田原俳句協会を設立して初代会長となる。「夜むかえ筆のこころの虫しぐれ」「神やどり雨のち晴れの返り花」という筆塚が小田原高校にあるのだが、今もあるのかな。奥津久恵は、小田原俳句協会婦人部を結成して、地域の女性の文芸の向上につとめた伝説の人。「もてあます命あづけり乱れ菊」からとった句集「命あづけて」は自伝とも読める。
佐倉東郊先生は、豪放磊落。あんたに会わせたかったとよく言われた。杉山夢洋さん、奥津久恵さんは、ご存命のときを知っているが、まだ自分が俳句をやろうとは思わなかった。

小田原には、たくさんの結社があり、俳句をたしなむ市民が多い。私の友人は、藤田湘子に学び、今は東京の俳壇で添削をしているという。小田原では、息苦しくて俳句活動はできないんだそうだ。それでも、町であうと、う、ううなって、句をひねっている。小田原で俳句を作って、東京で発表しているんだ。

小田原や月より澄し天守閣 

そんなわけないか。