[暮らし]柿の木

我が家の庭には大きな柿の木があった。毎年春は小鳥に軒を貸し、夏には葉を茂らせて下草の動物を守り、秋には柿を稔らせ、冬には葉を落として土を肥す。ベランダで洗濯ものを干しながら、いろんな話をしたよね。なのになのに木が大きくなって空が見えない、柿が落ちると腐って見苦しいという苦情で大家さんは悩んだ末、ばっさり切ってしまった。何も知らされていない私は、本当にがっかりした。あの柿の木があったから、ここに引越してきたんだ。なによりも、小鳥のさえずりが聞こえない春の朝はいいようのないさみしさだ。・こういう気持ち、どうしてくれるの?

小田原では、小田原城植栽管理計画が発表された後にそんなに木を切らないでという市民が声をあげた。個人の庭ではなく、観光都小田原市の看板小田原城がある公園なのだから、それ相当の木の管理は必要だろう。なにがなんでも木を切るなとは言わない。きちんとした植栽管理はされなくてはならないとは思う。でも、お城を見せるために木を切るという発想。観光だからか?ここのところがわからない。友人は署名運動などしていないが「あのブナの木だけは切らないで欲しいの」と言っている。「あのブナの木」という「あのブナの木」がどれだかわからないが、「あのお城」よりも「あのブナの木」に愛着があることはわかる。

たぶん、城郭を研究している方から見たら、きっとびっくりしてしまう主張なんだろう。しかし、多様な意見が入るということが悪いとは思えない。今生きている人間の思いを大切にしてこそ、歴史に参加し、歴史を更新することではないだろうか。小田原市もさっそく運営委員会を設置して1本1本植栽の精査をするという。違った視点をもつ人たちが、どれほど理解しあい、譲り合うことができるか。それができれば、切られる木も本望だろうし、あの城跡公園も輝いてくるに違いない。