[暮らし]おむすびの日

昨日17日は、おむすびの日。そんな日があるのか知らなかったが、16年前に起きた阪神淡路大震災に配られた「おむすび」にちなんで命名されたという。「炊き出しの日」ではあまりにも暗いので「おむすび」にしたのだろう。いざと言うときの「おむすび」。凄絶な光景の中で差し出される「おむすび」。1個の「おむすび」から復興が始まったのかもしれない。

地震が来る来るといわれながら、被災を免れている小田原。どんな防災計画がすすんでいるのか、市民も知らない。防災訓練の日もあるのだが、ここ30年まったくそのメニューが変わらない。こんなんでいいのか、生き残れるのかと心の内で思っている市民は多いと思う。もちろん、お互いに助け合うという暗黙の了解はあるのだが、それがしくみになっていかない。

この間、大雨でがけ崩れが心配されたとき崖の下に住んでいたある人が、市に電話したそうだがラチがあかず、自治会でも避難の判断はできず、不安の中で地元の市会議員に電話したという。すると市が動き避難の場所など丁寧に応対したという。行政よりも頼りになるのが市会議員、地元のお世話係というのが、小田原の地域性なのである。自分の利益、地域の利益をもったらす議員を選ぶ旧態依然とした住民意識が行政の怠慢を助長している。市会議員との住民との貸し借りが選挙の当否を左右して、政策を語る市会議員は本当に珍しい。半年間、駅前であいさつしている議員の声が大きくなってきた。選挙が視野に入ってきたからだろう。あいさつで当選できると思ってるところがすごい。

4万以上の票を得て当選した加藤市長のすすめる「市民主体のまちづくり」を後押しするためにも、選挙運動の方法、議員の役割の整理、防災をはじめとする暮らしに密接な政策への提言などを通して議会も生まれ変わってもらいたい。議員に「市民主体のまちづくり」を阻害されては困る。行政と市民をつなぐしくみを作る「見識」ある議員がどうしても必要だ。

小田原では、16日地方議会をテーマに廣瀬克哉法政大学教授が「新しい小田原づくり」が分かる開かれた議会というテーマで講演会が開催された。住民参加に消極的な議会が多いことに触れて、「住民が求めている議員像を伝える努力をしなくてはいけない」とし「そのためには市民意識も改革が必要だ」と話したという。地縁血縁選挙からの脱皮は、市民の側の問題。市民が変わらなくては議会も変わらない。

おむすびが、また難しくなっちやった。