[暮らし]震度5

ブログを更新している途中に地震がきた。震度5というが、慣れてしまったのか、あまり揺れを感じない。まぁ、落ち着こう。ご飯を炊く。炊き上がるまで43分かかるが、その間に地震があると困るな。初めて、ヘルメットをかぶってみる。似合わない。非常用ナップサックの点検。息子が、ひとつひとつ地震サイトの持ち出し用品を読み上げてくれる。

東海地震の関連は見られないそうだ。緊迫感がゆるゆると溶けていく。お風呂に入るか。パジャマに着替えるか。どうにもならないことなのだ。とまらない地震は恐怖なのだが、それでもまだ生きたいと思っているのだ。なんだか、体の芯が疲れて、気が休むことがない。今まで、つらいことはたくさんあったが、これはそれとは違う。もっと大きなものに揺さぶられているような感じだ。「これはなんなんだ」というメールが私にも何通もきた。誰もが、被害地の問題ではなくこの天災を自分の生き方の問題として考え始めている。

神様は、きっと「少し違うよ」と指1本を動かして人間をまともな方角に動かしてくれているのかもしれない。予想以上の反応に神様はきっとびっくりされているのではないか。人間は、求める幸福の限度を超えてしまったのだ。自分たちで制御できない科学技術、なんでも可能だと思う驕り・・・。もし、今価値観を変えなければ、もっと大きな天罰が下されるのかもしれない。なんだか、石原慎太郎になってきた。

震源地は富士山の麓、富士宮市という。木花咲耶姫守(このさくやひめ)も怒っておられるのだろうか?

ところでドイツ政府は、福島の事故をみて1980年以前の原発7基と問題のあった1基を停止したそうだ。政府は、浜岡原発を止めること。もしそうしないと何が起こるか考えるまでもない。忍耐強い日本人だが、そのために一番大事なことを見落とす。しばらく計画停電でいいじゃないか。1日1食でいいじゃないか。助け合って生きていけばいいじゃないか。今、福島原発で懸命に作業する人たちが、特攻隊のように見えてならない。