[俳句]松尾芭蕉

深川から大垣までの奥の細道。その旅のうち須賀川から一ノ関市までが震災にあっている。
3月11日、松島湾の観光船は、2時41分に港に帰り、その5分後に地震が起こる。2メートルほどの津波が来るのは、40分後だった。乗客は、みな高台に避難して無事だったとか。観光船が再開されたのは、50日後。以前と変わらぬ船内放送。牡蠣の養殖も始まっているようだし、とても穏やかな海だ。

国宝瑞巌寺は、文化庁による修復工事が行われているが、まったくといっていいほど被害にあっていない。ただ、門前の飲食店や宿が休業中でなにかもの哀しい。大きく商いをしているところの経済的な痛手は大きかったように見える。家族経営の小さなご飯やさんはなんとか開店している。霊場が観光地にいう看板を見つけたが、観光地が霊場になるというのが本当かもしれない。となりの塩竃港にはガレキがまだ残されていたが、松島は観光地ということで早い処理がされたのだろう。震災の傷跡はあまり見えない。ただ、駅前で抹茶ソフトを注文して店主に声をかけたら、「4ケ月前はヘドロだらけだった。仲間は営業をやめた」と無表情で呟かれた。松島海岸駅は、代行バスの乗り換え駅だ。そのままバスに乗らないで、ソフトでもコーヒーでも牡蠣フライ(牡蠣は松島産ではないだろうけど)でも注文して。

芭蕉はここ松島で句を詠まなかった。
松島の嘆きの夏やかもめの眼

松島やああ松島や松島や