[暮らし]女性の手

岩手県盛岡市にホームスパンをてがける「みちのくあかね会」織座がある。英国から原毛を輸入して、染色から織りまですべて手づくりの織物は、すでに本場英国にはなく世界でも岩手だけだといわれている。機械織りにはない、手触り、複雑な色彩のショールやマフラーは、私だけの、あなただけの宝物になる。

この「みちのくあかね会」は、戦後、夫や家族を失った多くの女性たちの生きる糧と希望を与えるために、横田チエという女性がホームスパンでは日本一といわれた及川全三の弟子である福田ハレの指導のもとで、盛岡婦人共同作業所を立ち上げたのが始まりで、今でも岩手の女性の逞しくも優しい手で紡ぎ出されている。

この横田チエは1901年生まれ、岩手女子師範学校(現岩手大学教育学部)を卒業して小学校教諭となり、同僚の社会主義運動家の横田忠夫と結婚したため教職を追われた。チエは夫と共に東京や大阪で運動に没頭する。その後盛岡に帰り、夫は盛岡市議会議員選挙に最高点で当選。しかし時代は徐々に軍国主義へと傾き、社会主義運動は弾圧をうけて逮捕。留置所で自殺する。「国賊の未亡人」と呼ばれながら、終戦後、彼女は夫が戦死してた未亡人らの救済を訴え、1947年に盛岡市議会議員選挙で女性として初めて当選。また1959年には初の女性岩手県議会議員となり、岩手県女性議員の先駆者となった。

「貧乏という言葉そのものをなくしたい」と子供を抱えて悪戦苦闘する女性たちに生活相談や資金の貸付、仕事の開拓など女性の社会参加を促す運動を行った。その遺産のひとつが、「みちのくあかね会」なのだ。県会議員をつとめ、今は国会議員をめざしている高橋比奈子さんはチエさんの孫娘にあたる。この震災で比奈子さんは、弱い立場の人々の近くで政治を行ったチエさんの遺志が乗り移ったかのように被災地の援助活動に動き回っている。

「みちのくあかね会」は藤沢さいか屋の岩手物産展に出展。盛岡からやってきた田村さんが、ひとりで切り盛りしていた。芯の強さと慈愛にみちた東北の女性たちの紡ぐショールを今年こそ身にまといたいと思う。田村さんのしてるエプロンもいいな。このホームスパンの仕上げに孫娘ご推薦のEMが使われていることを知っている人は少ないかも。