日本語を日本語で訳す

newmoonakiko2006-06-18

始めは算数だけだったのに国語も、英語も教えることになった。と、いっても自学自習。手取り足取り教えなくてもよいように教材ができている。まぁ、だから私ごとき能力であっても、なんとか教室が運営できているのだろう。学生の頃の得意科目を振り返ってみると、得意順に国語、英語、数学だった。しかし、教える側に立つと、やさしい順に数学、英語、国語。なのに質問が多いのは、国語なのである。先生を泣かせないで。その多くは、言葉の意味が分からないというもの。この対処法は、簡単だ。辞典の調べ方を教えるのだ。ただし、その子どもの能力にあった辞典を与えなくてはならない。ゆめゆめ、大人用の国語辞典など与えてはいけない。例え、引けたとしても、ますます分からなくなる。辞典で調べてもピンとこない時は、彼や彼女らが経験したであろうことで、具体的に言い換えてやらねばならない。日本語を日本語で訳す。英語に訳せといわれた方が簡単なように思う。思うだけだけれど。
次に解釈の問題でわからないと言ってくることがある。しっかりと読んでいないと分かる時は、音読させるとすぐに答えを見つけ出すことができる。目で読むより、耳で聞いたほうが、正確な内容を把握できるようだ。この時、スラスラと読めないと、「こりゃ、内容まで理解できないなぁ」とこちらが判断する。しかし、子どもにもプライドというものがあるから、まず、読んであげて、こんなことが書いてあるよと情報を入れておく。1つの言葉の意味がわからなくても、文脈の中でだいたい想像することができる。答えは、必ず提出文の中にある言葉を使うというのが、解答の鉄則である。助詞ひとつ違っても、1字違っても、まったく違う意味になるという言語の厳しさを身に付けるためである。日本語のルールを覚えるには、時間がかかるものなのだ。この歳になっても、ちんぷんかんぷんの日本語を使い、人間関係を悪くしている私。国語が得意科目なんて言えません。
一方、英語。国語力を鍛えた子どもにとっては、英語はあまり難しい言語ではないようだ。したがって、小学生から英語義務教育化の影響で、浮き足立つお母さんたちに「まずは、国語からね」と勧めている。そう、国語こそ生きる力。

米原万理著「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」。何はさておき母国語の能力を高めておくことが、外国語学習にあたっての必要条件と主張している。国語を教えるにあたって、すごく役に立った本。米原さんは、優秀なロシア語通訳者。つい最近ガンで亡くなられたと知り、びっくりした。50代半ば、早過ぎないか。