手料理は人のために

newmoonakiko2006-09-22

病は静かに進行し、表に出た時は、いわゆる風邪だった。それから、深刻なうつ状態になり、検査したら、「進行性免疫不全」。難病に指定されている病で現在のところ、治療法が見つかっていないという。
久しぶりに会った友人の妻の話だ。私たちは、黙々とビールを飲みながら、シメサバと野菜炒めをガツガツ食べた。妻に「あなただったら、手と足では、どちらが動いた方がいい?」と聞かれたという。「僕なら、手の方がいいな」と答えたら、「私は足が動いた方がいい」と言ったという。行動派の妻らしい。「なら僕が君の手になるよと言わなくちゃね」と私。同席の年下の友人が、妙に感じいったように聞いている。
外に出ている子どもたちと再び一緒に暮らす大きな家を探しているという。そこに退院してくる妻を迎え、家族で支えあって看護にあたる計画だ。病を受け入れて、最善を尽くすしかない。「生きて帰ってきてくれてよかったね。あちらとこちらとは近いとはいえ、存在があるなしは全然違うよ」と私が言うと、一瞬場が静まってしまった。やばいぞ。
さて、またビールが開けられ、数品の料理が並び、まるで、欠食児童(←これ死語)のようにパクパク食べた。家族のひとりでも入院すると、家族がまともな食事が食べられなくなるというのは体験済みだ。ことにふたり暮しの相棒となれば、自分の食事どころではなくなる。自然派グルメの彼も、いまやコンビ二弁当で生きている。妻が家に戻れば、たとえ彼女が食事を作らなくとも、少しはまともになるだろう。「僕が作って食べさせてやるぞ〜」といやに張り切っていた。少し酔っ払っていたようだけれど。結局、ビール瓶はずらりと並び、あいた皿が積み重なった。「喰ったぞ!」と言いつつ、我々は、あっかるっく別れた。

写真は、秋田の十文字町のりんご。心に重石がかかると、自分のためにりんごの皮も剥きたくありません。