金木犀の咲く墓地で

newmoonakiko2006-09-23

我が家のお墓はJR高尾からバスで10分。多摩丘陵にある八王子霊園。小田原から往復4時間。確かに遠い。「もっと家の近くのお墓にしないと、君たち(家族)が来ないだろう。墓石も自分で探すぞ」というのが、生前の夫の口癖だった。お墓がすでにあるのだから、わざわざ移動しなくてもいい。墓石は、我が家の近くに流れる早川の河原の石だという。勘弁して。死んでまで自己主張しなくていい!芸術家じゃないんだから、というのが妻の意見。まぁ、そうまではっきりと否定はせずに聞き流していた。その時は、現実に死ぬなんて思っていなかったから。ただ、「戒名は自分でつけておく」という主張には同意した。「戒名代いらないね」と口に出したか記憶にないが。


リハーサルもなく本番はやってきて、茶箪笥の引き出しの中に葬儀の台本と戒名を書き留めたメモを見つけた。お別れは陽気に、会場に花を、童謡を流せ。「夕空晴れて」「浜辺の歌」等、それに満州の歌なのかどこを探しても楽譜がない歌もあった。友人が急遽ピアノを弾いてくれて、そのテープを会場に流した。いたって、シンプルだったが、無宗教家族葬というのは、結構ややこしかった。葬儀屋さんが、「参考になりました」と言っていたので、当時はそんなに一般的ではなかったのだろう。戒名は「狂信悟空修道居士」。ペンネームに織田狂介と名乗ったぐらい、「狂」の字を好んだ。この字を嫌った私の母になじられると「男は正しく狂うんです」と言って煙にまいていた。


私の幼馴染は、お母さんが亡くなる時に「お父さんが死んだら私の骨と一緒にして空にまいて」と言われたという。律儀な息子はその約束を守り、お父さんが亡くなってから、弟とふたり、鉢にお骨を入れてスリコギで混ぜ散骨し、約束を果たした。「お父さんは泳げない人だから、山にしてね」とお母さんは言ったと言う。なんという夫婦愛。泣かせる話ではないか。それに比べて、夫は自分のことしか考えてない。なんて平凡な男だろうと今にして思う。ただ、「お母さんの骨とね・・」とか言われたら、ちょっとね、重くてね、生きづらくなるかもしれないし、それに息子たちも「そんなことをいうなら、生きているうちに仲良くしててよ」と思うだろう。ちなみに幼馴染の両親も、生きている間、仲が良かったとはいえなかったという。それを聞いて、不謹慎ながら私はお腹を抱えて笑った。ただ、女が正しく狂うとこうなるのかもしれない。
死はひとりで、葬式は自分のために。どうせ、共に土になるのだから。
電車の中で、文芸春秋吉村昭氏の最期」津村節子さんのお別れの会挨拶を読む。昭和初期生まれの人には特有の死生観があるような気がする。