北原白秋甦る

newmoonakiko2007-05-13

白秋の生まれ故郷は福岡県柳川市である。柳川市では年に1回盛大な「白秋祭」なるイベントがあるという。これに招待された知人曰く、このお祭り「白秋らしくない」そうだ。実際に行ったことがないのでわからないが。
ところで、白秋は小田原に8年間居を構えている。小田原在住の竹村忠孝さんは、白秋の小田原時代の足跡を丁寧に調べあげ、長年「童謡新聞」なる新聞を自主発行している。私は、この「童謡新聞」の愛読者で、小田原の風土の中でたくさんの童謡を生み出した白秋への竹村さんの愛情をひしひしと感じていた。今日は、「からたちの花」のモデルになったからたちの小道を歩くイベントが開催され、小田原近郊から募集人員の倍の応募者があったそうだ。
小田原の白秋は、詩人としてその地位を磐石なものにした創作の黄金期でもあり、また3人の女性をめぐるスキャンダルが世を驚かせた時期にあたる。このことは、瀬戸内寂聴「ここ過ぎてー白秋の三人の妻」に詳しい。ちなみにこの「ここ過ぎて」は、詩集「邪宗門」の扉に「ここ過ぎて曲節の悩みのむれに、ここ過ぎて官能の愉楽のそのに、ここ過ぎて神経のにがき魔睡に。」からとられている。この後、「詩の生命は暗示にして単なる事象に非ず。・・」と続く。
報徳博物館で開催された白秋童謡「歌う会」もすばらしかった。生誕120年過ぎても、たくさんの人に愛されている白秋の童謡。その白秋を愛してやまない竹村さん。それに小田原文学に光をあてようと長年活動していられる田中美代子さんのお話も興味深かった。田中さんは、大正生まれ。頭脳明晰かつ美しい。柳川市とは違う白秋祭が市民の力で開かれていくー白秋もあの世で喜んでいられるのではないか。
その会場で配られた白秋の俳句 
松笠の青さよ蝶の光り去る
行く過ぎて卯の花の皆白かりし
不揃いの墓石よ栗の花咲いて
(今日の俳句)
50路過ぎ苦き魔睡や朝浅し
↑「にがき魔睡」にひっかかってしまった。上(かみ)の句を一考して明日の句会に備える。明日の兼題は、牡丹と朝浅し。
しかし、仕事があって句会には出席できない。